Yoshitaka Arita Architect Office

after 3.11

2007年に竣工した「舞浜の住宅」は、2011年3月11日に起こった東日本大震災と2つの点で大きく関わることになりました。

1)液状化被害

千葉県浦安市一帯の液状化被害により、この建物も10メートルに対して7センチ傾きました。幸い周辺の建物と比較すると軽症でしたが、是正工事を行いました。
耐圧版の下に8本の横穴を掘り、28台のジャッキを設置し傾きを修正しました。このジャッキは、現在も継続して設置されており、再液状化に対応可能な状態としています。県と市からの補助金が100万円ずつと義援金50万円の計250万円が費用の一部にあてられました。

2)1階増築:原発からの避難

建物の水平を是正した後、増築を行いました。
クライアントの母親は震災後原発事故の不安を抱える福島で一人暮らしをしています。その母親がいつでも引っ越してこられるよう、ピロティーの一部に部屋を造りました。懐に新たに母親の部屋を抱いたこの住宅は、小さなメタボリズム建築となりました。